23 バブル経済と現代


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❶石油危機とその克服

◎第一次石油危機(オイルショック)(19731第四次中東戦争を機に

2石油輸出国機構OPECが原油価格を約倍に引き上げ、日本経済は大きな打撃を受けた。

3スタグフレーション

不況とインフレーション(持続的な物価上昇)が同時進行する現象が発生した。

4戦後初のマイナス成長

1974年に、第二次世界大戦後初めて、実質GDP(国内総生産)の水準が前年を下回った。

 

   政府の対応…インフレ抑制のために総需要抑制政策を採用する一方、1975年から赤字国債を継続的に発行した。

   企業の対応…設備投資・人員の削減などによる経営の合理化(減量経営)を進める一方、5 ME (マイクロエレクトロニクス)革命でFA(ファクトリー・オートメーション)化、6 OA (オフィス・オートメーション)化を推進した。

   貿易摩擦…日本の企業は欧米に向けて輸出攻勢をかけ(集中豪雨的輸出)、イラン革命を機に起こった第二次石油危機(1979)を比較的うまく乗り切ったが、その過程で欧米との7貿易摩擦が発生した。

 

1980年代以降の動向

貿易黒字の拡大…日本経済は二度にわたる石油危機を乗り切り国歳競争力を強化、1980年代に入ると貿易黒字を拡大させた。他方、アメリカはドル高政策の影響により、日本からの輸入が増大、貿易赤字が深刻化した(ドル高はアメリカの輸出を減少させ、輸入を増加させる要因となる)。

プラザ合意1985)…先進5か国財務相・中央銀行総裁会議(8 G)が開催され、アメリカ・イギリス・フランス・西ドイツ(当時)・日本が9 ドル高是正(ドル安誘導)のための協調介入を行うことで合意した。その背景には、アメリカの「10 双子の赤字」(財政赤字と貿易赤字)があった。

円高不況1986)…プラザ合意後の急激な11円高 により、日本の輸出産業は大きな打撃をうけ、一時的に12 円高不況 に陥った(円高は日本の輸出を減少させる)。そのため、日本銀行は低金利政策を採用した。

バブル景気1986末〜1991)…円高不況を脱出後も、日本銀行が13 低金利政策 を維持したため「カネ余り」現象が生じ、14 株式や土地 への投機が拡大した。これにより、株価・地価などの資産価格が実体経済からかけはなれて高騰した(ただし、円高による輸入価格の低下もあって消費者物価は安定的に推移した)。

バブルの崩壊1991)…日本銀行による公定歩合引き上げや、政府による不動産向け融資の規制などにより株価・地価が暴落し、15 平成不況 に陥った。

 

❸バブル崩壊後の動向

バブル崩壊後、「16 失われた10 」とも称される深刻な不況(平成不況)の下で、家計消費の低迷、企業の設備投資の減少が続く一方、金融機関の経営破綻などにより金融システムが大きく揺らいだ。

金融機関の破綻

1990年代後半には、山一證券、北海道拓殖銀行、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行などが相次いで経営破綻した。

不良債権問題

金融機関は、融資先企業の経営破綻や経営不振により回収困難となった債権(17 不良債権)を大量に抱え込んだ。そのために、新規の融資を控える「18 貸し渋り 」や、返済期限前に返済を迫る「19 貸し剥がし 」などを行う銀行が現れた。

公的資金の注入

政府は、不良債権処理のため、大手銀行に対して公的資金を注入して金融システムの安定化を図った。

マイナス成長

1998年と2001年には、実質GDP(国内総生産)の水準が前年を下回った。その後、2002年2月から200710月にかけて、高度経済成長期の「いざなぎ景気」(57か月)を超える戦後最長(69か月)の景気拡大を示した。しかし、2008年に入ると、世界的な金融危機を背景に景気が後退し、2008年と2009年にはマイナス成長となった。

デフレーション

2000年前後の数年間、消費者物価が持続的に下落する現象が生じた。ほぼ同じ時期に、企業物価も下落した。

失業率の上昇

企業がリストラクチャリング(事業の再構築)を進めたこともあって、20012003年には完全失業率が5%台を記録した。

日銀の景気対策

日本銀行は公定歩合を段階的に引き下げ、2001年から数年間史上最低の0.1%で推移した。また、1990年代以降、銀行間の短期資金の貸借を行う市場(コール市場)の金利(無担保コール翌日物金利)をほぼゼロに近い状態に誘導する政策(20 ゼロ金利政策 )や、市中銀行が日銀に保有する当座預金(日銀当座預金)の残高を増大させる政策(21 量的緩和政策 )を採用した(その後、2006年にはこれらの政策を解除した)

財政の動向

政府が国債を大量に発行したため、近年では国債依存度が40%を超えることもあり、国債残高も一貫して増加した。

 


2018本試30

日本や世界で生じた経済の危機・混乱に関する記述として最も適当なものを、次の①〜④のうちから一つ選べ。

     日本が第二次世界大戦後初めてマイナス成長を経験したのは、バブル経済後の不況期においてであった。

     1980年代に表面化した開発途上国の累積債務問題について、開発途上国の債務の返済が困難に陥った原因の一つに、一次産品価格の高騰があった。

     1990年代のアジア通貨危機は、ヘッジファンドによる投機的取引の煽りを受けて、中国の通貨の価値が暴落したことがきっかけとなった。

     欧州連合からの離脱をめぐる、イギリスにおける国民投票の結果を受けて、世界経済に不安定化の懸念が生じ、日本の株式相場が急落した。

正解→④

 

2007年追試19】バブル経済の時期の出来事に関する記述として適当でないものを,次の①~④のうちから一つ選べ。

     企業は,株価や地価の上昇による利益を見込んで,株式や不動産への投資を積極的に

行い,金融機関もこれに伴う資金需要に積極的に応じた。

     保有する資産の価値が上昇したので,人々はぜいたく品やレジャーなどへの支出を積

極的に増大させ,消費ブームが起きた。

     消費税が導入されて,直接税中心の従来の税制よりも,税収が景気変動の影響を受け

にくくなった。

     低金利政策が続いて資金調達が容易になったため,政府は赤字国債の発行を積極的に

拡大した。

解答:

 

2006年本試33*】バブル崩壊後の日本経済に関する記述として最も適当なものを,次の①~④のうちから一つ選べ。

     経常収支が赤字になるのを防ぐために,日本銀行が通貨供給量(マネーサプライ)を収縮

させたので,日本経済はデフレスパイラルに陥った。

     卸売物価はかなり安定していたが,総需要が拡大して消費者物価が上昇し,日本経済

はインフレーションが進行した。

     不況にもかかわらず物価が上昇したので,日本経済はスタグフレーションと呼ばれる

状態になった。

     消費の低迷に加え,銀行による貸出し抑制などがあって,日本経済は次第にデフレー

ションの色彩を強めた。

解答:④

 

2005年本試21】バブル経済に関する記述として最も適当なものを,次の①~④のうちから一つ選べ。

     1990年代初めに湾岸戦争が(ぼつ)(ぱつ)し,その後,日本が国際貢献の財源として消費税を

導入したことによって,それまでの過剰な消費ブームが急速に冷め,その結果,バブル景気に終止符が打たれた。

     バブル崩壊後,海外の資金が日本の金融市場から一斉に逃避したが,政府が金融監督

庁を設置し,金融機関をきめ細かに指導する,いわゆる護送船団方式に転じたので,外資の逃避には歯止めが掛かった。

     バブル崩壊後,企業のリストラ(事業の再構築)が進み,有効求人倍率も低迷し続けたの

で,日本全体の失業率は悪化した。

     2000年代初めになると,バブル崩壊の傷も()え,例えば三大都市圏の地価水準は,軒

並みバブル崩壊直前の水準に戻った。

解答:③

 

2001年追試14*】1990年代末の日本経済の状況を説明している記述として最も適当なものを,次の①~④のうちから一つ選べ。

     バブル経済の崩壊の影響から,日本企業は輸出競争力を大幅に低下させ,また政府は

不況対策のために公共事業の支出を強いられたので,日本の経常収支と財政収支は,赤字に転落した。

     地価・株価が急落して財務内容が悪化し,将来の成長に慎重な見方をするようになっ

た企業が,設備投資を縮小させたので,実質経済成長率は戦後初めてマイナスを記録した。

     長引く不況と戦後最悪の失業率を背景に,政府は経済の活性化を図るために,規制緩

和を推進したり,企業や大学と連携してベンチャービジネスを育成したりする政策を実施してきた。

     企業は,生産性の向上が進展しないので,賃金コストを軽減させるため,優秀で安価

な若年労働力を長期に安定的に確保するよう,雇用形態を終身雇用制へ移行させた。

解答:③