2 奈良時代の政治(法)2010


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奈良時代の政治 早稲田法学部2010.pdf
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1 仏教が日本に伝来したのは、34㌻脚注❸に記されている。正解➡え 6世紀。教科書を見よう!

テキスト4参照

2 8世紀に鋳造された東大寺盧遮那仏と同時期の出来事をえらぶ。

 大仏開眼供養は752年のことである。

 あ 743年に聖武天皇は、近江紫香楽宮で大仏造立の詔を出した。正文

 い 国分尼寺は741年のこと。✖︎

 う 淳仁天皇が廃されたのは恵美押勝の乱後の764年である。✖︎

 え 聖武天皇が没したのだから、同時期ではない。✖︎

 お 正文
再録プリント7 平城京の時代で復習せよ!

740年代:橘諸兄(皇族出身)が政権掌握。 

吉備真備玄昉ブレーン。吉備真備は右大臣まで昇進した。吉備氏は吉備地方を根拠地とする豪族で、鉄・塩を資源として栄えたという。この地方には国内4位の規模を持つ造山古墳があり、古墳時代に大きな勢力があったことがわかる。

吉備真備・玄昉の排除を求めて藤原広嗣の乱が九州北部で起こった。

➡以後、朝廷は動揺し、聖武天皇は遷都を繰り返した。遷都の変遷、これが出るね!

恭仁京難波宮紫香楽宮

741 国分寺建立の詔

743 大仏造立の詔恭仁京で発せられた。

国分寺=金光明四天王護国之寺に僧20人を置く

国分尼寺=法華滅罪之寺に僧尼10人を置く

国分寺は「護国」を国分尼寺は「滅罪」を祈った。写すべき経典は金光明最勝王経法華経である。

総国分寺は東大寺である。

東大寺創建当時の建物は法華堂・転害門・正倉院である。

史料研究

空欄補充 大仏は盧遮那仏である。また、華厳経の本尊である。

開眼供養

儀式の中心を担った菩提僊那はインドの僧である。

750年代:藤原仲麻呂南家、武智麻呂の子)の勢力が伸張。749年に孝謙天皇が即位し、その母である光明皇太后(光明子)の権威が高められたため、仲麻呂が台頭した。光明皇后のために 紫微中台 を作り、その長官となった。仲麻呂政権下で養老律令がやっと施行されたことを記憶したい。757年、仲麻呂を倒そうと橘奈良麻呂(諸兄の子)が立ち上がるものの逆に滅ぼされた➡これを✖橘奈良麻呂の変)という。その後、みずから擁立した淳仁天皇より 恵美押勝の名を賜った。➡760年、光明皇太后没により仲麻呂の権力弱体化。道鏡台頭、孝謙上皇側に先制され、仲麻呂は近江国で敗死。淳仁天皇は淡路に流された。

3 華厳経

4 大仏開眼供養

全部プリント読めば書いてある。

5 日本は水田開発を国家事業としていたについて、

 あ 成果はあがらなかったので✖

 い 加墾禁止令は、寺院を除いて開墾は禁止されたので✖

 う 正文

 え 公卿にはなっていない。荘官になるものもあらわれた。80㌻参照。✖

 お 門田は年貢や公事のかからない直営地のこと。✖

6 初期荘園

7 勧進 117㌻。この言葉は寄付を募るということである。

8 教科書の出ている正倉院宝物 59㌻参照

  漆胡瓶・鳥毛立女屏風・螺鈿紫檀五絃琵琶