25 政党の復活・日本国憲法の制定


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政党政治の復活 374375

194510月、政治犯釈放で出獄した(徳田球一)(宮本顕治)らが釈放され

➡(日本共産党)が合法的な政党として活動を再開。まず歴史としては大事だが入試で主題されることはない。宮けん!すごいカリスマだけどね。1015日(治安維持法)廃止。1121日(治安警察法)廃止。改めて①治安警察法が、治安維持法制定で廃止されたのではないこと、②ともに戦後改革のなかで廃止されたことを確認せよ。

日本社会党)は戦前の無産政党各派が糾合して結成。

日本自由党)は(鳩山一郎)を総裁に、主に旧立憲政友会の翼賛選挙非推薦議員を糾合した保守政党。バックには三井財閥がありました。総裁は鳩山一郎だが、鳩山が公職追放になり代わっって吉田茂が総裁就任。(日本進歩党)は町田忠治を総裁に、旧立憲民政党系と、立憲政友会系の旧大日本政治会系を合わせた保守政党。こちらは大隈重信の流れを組み、バックには三菱財閥がありました。早稲田で日本自由党が出た。1947年には日本自由党の一部などを糾合して民主党(総裁芦田均)へ。

日本協同党)は協同組合主義・労使協調を標榜する中間的保守政党で委員長は(山本実彦)。日本共産党は徳田球一が書記長になります。

衆議院議員選挙

194512月、衆議院議員選挙法が改正され、性別(男女)、年齢(20)歳以上が選挙権を得た。

内閣

直接国税

選挙区制

全人口比

性別・年齢

① 1889黒田

15円以上

小選挙区

1.1%

男子・満25歳以上

② 1900山県

10円以上

大選挙区

2.2%

男子・満25歳以上

③ 1919

3円以上

小選挙区

5.5%

男子・満25歳以上

④ 1925加藤

制限ナシ

中選挙区

20.8%

男子・満25歳以上

⑤ 1945幣原

制限ナシ

大選挙区

50.4%

男女・満20歳以上

 

19464月、戦後初の総選挙が行なわれた。GHQが公職追放指令を出したので、翼賛選挙の推薦議員は全員失格となっていた。選挙の結果、女性が(39)人が誕生したことが出る。


第1次吉田茂内閣(鳩山一郎)日本自由党総裁が公職追放となったので吉田が組閣した。この内閣は日本進歩党の協力を得て成立した。鳩山は吉田に言った【私が戻ってくるまで、君に権力を預ける。でも戻ってきたら返してくれ】と口約束したが、52年に政界に返り咲いたとき、吉田は権力を返しませんでした。自由党が分裂するきっかけがここにある。

蔵相:石橋湛山 

吉田は牧野伸顕の娘婿であったことも出ている。

日本国憲法の制定

1946113日公布、194753日施行。日本国憲法の公布・施行は第1次(吉田茂)内閣。(幣原喜重郎)内閣のときに設置された(憲法問題調査委員会)【委員長松本烝治顧問美濃部達吉】で、松本が私案をGHQに示し、その上で憲法問題調査会の正式な案=憲法改正要綱とするはずだった。しかし、松本私案は天皇の統治権を認める保守的なものであり、GHQが作成した案が憲法の草案となった。そのGHQの草案【マッカーサー草案】には、(高野岩三郎)(鈴木安蔵)(森戸辰男)ら憲法研究会の「憲法草案要綱」が反映されたことが出た。また、草案の一院制が日本政府の強い要望で二院制になったこと、92項に「前項の目的を達するため」という文言が加えられたことが出た。

民法

19472月改正公布。(戸主)制度を廃止し、男女同権の家族制度を定める。(家督)相続制度に代えて均分相続が定められた。14条、24条の条文を参照して、憲法制定を受けて改正された法律を2つあげ、その内容を具体的に説明する問題が一橋大2012で出た。

刑法

194710月改正公布。(大逆罪)(不敬罪)(姦通罪)を廃止。姦通とは妻の不倫のことで犯罪だった。男女差別が強かった証左である。

地方自治法

19474月公布。都道府県知事・市町村長が公選制となった。施行は憲法と同日。地方行政・警察行政を管轄した(内務省)の廃止が出た。

生活の混乱と大衆運動の高揚
インフレ・食糧難の背景として「将兵の(復員)【早稲田】や(引揚げ)で人口がふくれあがり失業者が急増した。👉中学生の頃、障害を負った復員兵が駅などで援助を願っている光景を記憶している。あれは結構効いた。戦争はいけない。【約630万人にのぼった海外の軍人・軍属及び一般邦人は1946年までに500万人以上が引揚げ、1955年には628万人をこえた】377㌻参照。敗戦時の海外居留民数や海外引揚げ者の多かった地域、(シベリア)抑留で死亡した人数【「6」万】などが出た。都市住宅の33%が空襲で失われたことが出ている。

「焼跡闇市派」を名乗る(野坂昭如)【火垂るの墓は泣ける】と、それに関連して闇買いのための(闇市)が出た。敗戦時基準で1949年まで200倍にものぼる驚異的なインフレを記録した。

金融緊急措置令

19462月公布。(幣原喜重郎)内閣時である。インフレの抑制を目指して、従来の日本銀行券を停止し、(新円切替え)を行った。旧円による預金を封鎖して払戻額を制限した。同時に(物価統制令)により新物価体系を作り、旧日本銀行券流通は大幅に縮小した。

傾斜生産方式

生産体制を回復して「モノ」をつくり、人々に「モノ」を行き渡らせることで物価を下落させ、インフレを克服しようという政策です。

第1次吉田内閣は、(経済安定本部)【経済企画庁の前身。同庁は2001年の中央省庁再編で内閣府に統合された。経済企画庁の発行する『経済白書』は重要。特に1956年版】を設置し、傾斜生産方式を採用。この政策の提唱者が(有沢広巳)であったことが早稲田で出た。戦前の第2次人民戦線事件の被告で弾圧された経歴がある。

復興金融金庫)が創設され、重要産業部門である(石炭)(鉄鋼)等に集中して資本が投下された。金庫創設時の大蔵大臣は(石橋湛山)であったこと。吉田内閣から(片山哲)内閣に引き継がれたこと等も重要である。復興金融金庫が財政赤字のなか巨額の資金投資を行ったためインフレになったことも記憶したい。石炭・鉄鋼業界に、人を雇ったり機械を買ったりするための「カネ」を、大量に復興金融金庫から融資しなければならない。すると「カネ」の量は増え、貨幣価値は下がり、物価を引き上げてしまったのだ。(ドッジ=ライン)を行ったとき復興金融金庫は新規貸出停止となっている。また復員兵を政府の現業部門(特に国鉄)に採用したため人件費がかさんだ。二・一ゼネスト

官公庁の労働組合を中心に、総同盟・産別会議、つまり社会党系も共産党系も全部含めた、600万人の労働者による(全国労働者共同闘争委員会)が、19472月1日に、(ゼネラル=ストライキ)【ゼネスト】を計画します。しかしスト前日にGHQの指令で中止となった。👉GHQは労働運動に共産主義の脅威を感じ取ったのだ!

 


片山哲内閣 1947年の衆議院総選挙で(日本社会党)が第1党となり、民主党・国民協同党と3党で(片山晢)内閣ができた。社会党らしい政策として(労働省)ができたことが出た。

また、この内閣下で(国家公務員法)が制定されたことも出た。

芦田均内閣(民主党)

芦田均中道連立内閣の誕生。3党は同じ。(昭和電工)疑獄事件で内閣は倒れる。【復興金融金庫からの融資に関する汚職事件。GHQ内部の対立があった。すなわち、日本の「非軍事化・民主化」をすすめてきた民政局のケーディスと、日本を「反共の防波堤」にしようとするウィロビーを中心とする参謀第二部(G2)との確執です。この事件で昭和電工と親しかったケーディスは失脚。】


語り部:極東国際軍事裁判 丸山真男著「超国家主義の心理と論理」から要約してみました。

日本陸軍の最高指導者は、陸軍大学校を出た秀才の集まりであるのに対し、ナチス指導者は学歴もなく、モルヒネ中毒者(ゲーリング)や男色愛好者(ヒムラー)や酒乱症(ライ)など、凡そノーマルな社会意識から排斥される「異常者」の集まりであり、本来の無法者なのだ。

日本軍指導者たちの思考回路

日華事変の本質は何か?と問われて、こう返答している。

元上海派遣軍総司令官松井石根大将

「抑も日華両国の闘争は所謂「亜細亜一家」内に於ける兄弟喧嘩にして

冷戦の開始と講和

冷戦体制の形成と東アジア

イギリスのチャーチルが「ヨーロッパでは、バルト海のシュチェチンとアドリア海のトリエステを結ぶ線に鉄のカーテンができている。その線をソ連がつくり、鉄のカーテンによって分かれている」【鉄のカーテン演説】

朝鮮南北分裂

1948年、朝鮮半島のソ連占領地域に(朝鮮民主主義人民共和国がアメリカ占領地域に大韓民国)が建国され、分断固定化した。

中華人民共和国

蒋介石率いる中国国民政府には、アメリカが大きな支援をおこないますが、民衆の支持が得られない。中国では大半の民衆は農民ですから、彼らや労働者の支持を得ている(毛沢東)の中国共産党が勝利し(中華人民共和国)が誕生【1949】、敗れた(国民党)は台湾で中華民国を存続させる。中華人民共和国の初代首相は(周恩来)であった。日本政府はこの国家を承認せず、1952年台湾と(日華平和条約)を締結した。

占領政策の転換

19481月、アメリカの(ロイヤル)陸軍長官の演説(「日本を共産主義の防波堤に」)。中国の内戦で共産党の優勢が明確化し、日本経済を復興させ日本との関係を東アジアの中心とする考えに転換した。日本を(反共の防波堤)が出た。

政令201

GHQの指令で政令201号が出され(国家公務員法)が改正され、公務員の争議権が否認された。(芦田均)内閣のとき。戦後、労働組合の全国組織として、右派の(日本労働組合総同盟)と左派の(全日本産業別労働組合会議)が結成されていた。官公庁の組合は後者の中心であった。

経済安定九原則

194812月(2次吉田茂)内閣のとき。九原則は(予算均衡)徴税強化・資金貸出制限・賃金安定・物価統制・貿易改善・物資割当改善・増産・食糧集荷改善である。アメリカの(エロア資金)【占領地域経済復興援助資金】が出た。

ドッジ=ライン

日本を「竹馬経済」と批判したデトロイト銀行総裁ドッジ【特別公使】が(超均衡予算)を命じます。単一為替レートの設定、1ドル=(360)円。公務員・公共企業体職員の大量解雇で緊縮財政。インフレは抑制されたが景気は停滞、企業の人員整理で社会不安は募る。

シャウプ勧告

19494月の税制改正で(直接税)中心主義と(累進)所得税制の採用。

失業者の増大


ドッジ=ラインによってデフレ状態となり、(安定恐慌)となった。中小企業の倒産が続き、失業者が増大した。👉日本政府はドッジの指示を実行に移し、インフレの度合は緩くなったが、国家予算を縮小させるため、労働運動が激しくなるなか、国鉄を巡る( 下山事件 )( 三鷹事件 )( 松川事件 )が発生し、これらに国鉄労働組合が関与しているという嫌疑をかけられたこともあって運動は成果をあげられないまま沈静化した。実は、怪事件にはGHQの関与が。