6江戸期の思想① 朱子学、陽明学、古学

 江戸時代は、仏教に代わって儒教が主流になる。理由は、仏教が死後の救済を説く宗教という点だ。いつ死ぬかわからない戦国時代と違い、秀吉の惣無事令以降さしたる戦乱もなく徳川の平和が訪れた。そういう平和な時代には、死後の救済を説く仏教よりも現世を生きる道徳である儒教が主流となるんだ。そして江戸幕府は、儒教思想、特に朱子学の原理を使って、身分制度をはじめとした幕藩体制を整えていく。

朱子学

林羅山

 林羅山が江戸幕府に仕えたとき、朱子学が江戸幕府の官学(幕府の認める正式な学問)になった。羅山は、自然界に天と地の区分があるように、人間界にも上と下という秩序があるという上下定分の理を唱え、幕府の官人に受け入れられた。ようは身分制度を肯定する原理を唱えたから支配階級に喜ばれたのだ。また、上下定分の理を実践するため、常に自己の内面の私利私欲を戒める「敬」を心にもち続けるべきだとする存心時敬を説いた。

 

山崎闇斎

 山崎闇斎は、同じ朱子学者でありながら、林羅山を批判した。幕府の役人が喜ぶような教義の歪曲に不満を抱いていたんだね。朱子が書いた書物のみを研究し、人には、君臣・父子といったその身分や地位に応じて本分(名分)があり、それに基づいて実践すべき道があるという大義名分論を説いた。晩年には朱子学に神道の考えを加え、独自の思想を生み出します。「日本の国をつくったのが天照大神なら、その系統の天皇の支配を受けるのが日本人の正しい道である」という考え方です。これは、垂加神道といわれ、幕末の尊皇思想に影響を与えました。

実践過去問2000本 山崎闇斎 77

 

陽明学

中江藤樹『翁問答』

 中江藤樹は、陽明学の祖であり、近江聖人と呼ばれた。彼は、孔子が説いた(親子愛)を拡大解釈して、人間愛、さらに万物を貫く道理だと考えた。キーワードは過去問からので決まり。

実践過去問2003追 中江藤樹 79-8

 

熊沢蕃山=『大学或問』日本史でも大事な蕃山の著書

 藤樹の門人で陽明学の根本思想である「知行合一」を実践した人である。心の中で正しいと判断されることは実践しなければならないとする考え方です。岡山藩に出仕し藩主池田光政に進言する。治山・治水、飢饉対策など農民の救済を主張。大学或問で国政改革を主張、年貢軽減・借金に苦しむ人々の救済など説いて回り、おかげて幕府に睨まれ、下総の古河に幽閉されその地で没。一橋大の若尾教授の専門分野の一つ。一橋論述ノートでも触れています。日本史でも早稲田大で出題があります。早稲田への日本史、参照。

 

大塩平八郎

 大坂町奉行所の与力。天保の飢饉の際に、窮民救済のために反乱を起こすが失敗。

日本史でも出題。家塾=洗心洞が要注意。

陽明学をわかりやすく。陽明学は、動機オーライ主義、終わり良ければすべて良しの対義語で、はじめよければあとはどうなってもよしの世界。「今の世の中、間違っていると心の底から感じたのなら、あとは既存の法令や社会通念、自分の行動がもたらす帰結についても一切考慮することなく突っ走ってよい、結果はついてくるはずだ、いや、ついてこなくてもそれは俺様の魂の叫びについてこない、周囲の不純な連中が悪い。そんな気分が陽明学では。吉田松陰も陽明学者です。死罪覚悟でペリーの船に乗り込むなど狂気の沙汰ですね。明治の初期に神道を国教化して仏教を全面弾圧しようという廃仏毀釈、国内もまだまとまっていないのに海外派兵して朝鮮人を懲らしめてやろうかという征韓論、タリバーン政権のような極端な政策はすべて結果オーライでなく動機オーライの陽明学的気分のなせる業ですね。

 

古学

 朱熹や王陽明などの注釈に頼らず、儒教の古典である孔子や孟子が書いた原典をもう一度読み直そうという思想を古学といいます。

山鹿素行=『聖教要録

 山鹿素行は、四書五経を読み直すことを提案した。そして、朱子学の抽象性を批判して、「漢・唐・宋・明の学者」の解釈でなく、「周公孔子の道」を直接学びとることを提唱した。またかれは士道でも有名だ。平和な江戸時代武士のあり方を提唱した。すなわち、武士の役割は農・工・商三民の師となり、彼らを人倫の道に導くことなんだと力説。素行と反対に武士のあり方を説いたのが山本常朝だ。著書『葉隠』の一節、「武士道は死ぬことと見つけたり」だ。

 

伊藤仁斎=『童士問』『論語古儀』

 伊藤仁斎は『論語』を読み直すことを提唱した。『論語』は「宇宙第一の書」。『論語』のもともとの意味(古義)を究明する古義学を提唱。また仁義の根底には自分に対しても他人に対しても嘘偽りをもたない純粋な心()が必要だと説いた。彼は朱子学を批判する。朱子学は身分の区別ばかりを強調して、人間らしい感情を抑制する傾向がある。誠でもって、他人に対しても寛容であれと。日本史では、古義堂を京都堀川に構えて教えたことが出題される。

「文が武に勝つと国礎が定まる。武が文に勝つと国の命脈が危ない」というのが仁斎の信念。シビリアン・コントロールの先駆者たる所以である。

実践過去問81-15 伊藤仁斎

キーワードはだ。

 

荻生徂徠=『政談』

 古学に新風を巻き込んだのが、荻生徂徠です。徂徠は六経を研究することを提案し古文辞学を提唱した。四書=論語、孟子、大学、中庸

五経=易経・詩経・書経・礼記・春秋 六経=五経+楽経

六経には、中国古代の聖人たちが歩んだ道(先王の道)が書かれていて、それは「天下を安んずるの道(安天下の道)」につながっているという。天下を安んずる道とは儀礼・音楽・刑罰・政治など、安定した社会秩序を実現するための方法だ。彼は、儒学の目的は、個人の修養だけでなく、世を治め民を救うことになる経世済民を主張した。

 綱吉や柳沢吉保にも講義し44歳で江戸の茅場町に園塾を開いた。幕府改革案『政談』では、18世紀前半、大名が商人から金を借りる状況が生まれると、これを幕府の支配体制を揺るがすもと、と判断。その対策として、武士は城下町から離れ農村に帰り、農作業に励むことだとしました。