14 院政期の文化・治承寿永の乱


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特徴

地方と庶民がキーワード

今様と梁塵秘抄

後白河法皇は民間の流行歌謡である今様を学んで『梁塵秘抄』を編んだのは、誰?が、頻出。

田楽=農村の労働歌舞 猿楽=土俗的芸能

インド・中国・日本の仏教及び民間説話を集めた『今昔物語

戦記物

平将門の乱を漢文調で描く『将門記』と前九年の役が主題の陸奥話記』この2つは絶対忘れないこと。

歴史物語

大鏡』は藤原道長を中心とする藤原全盛時代を批判的に叙述。『今鏡』はそれに次ぐ歴史書。
建築物

ポイントは畿内以外の地方にあるということ。浄土教が聖や上人らによって地方へと広がり、地方の有力者によって営まれた。だから都道府県名とセットで建築物を記憶せよ


三仏寺投入堂【鳥取県三朝町】

中尊寺金色堂【岩手県平泉町】

富貴寺大堂【大分県豊後高田市】

白水阿弥陀堂【福島県いわき市】

奥州藤原氏

奥州藤原氏は清衡基衡秀衡泰衡で、最後の泰衡が頼朝に滅ぼされた。

中尊寺は 清衡 建立。毛越寺は 基衡 が建立。


平清盛

平清盛は安芸の国の厳島神社を一族の氏神として篤く崇拝した。

平家一族が厳島神社に奉納した平家納経は技術の粋をつくした豪華な装飾経だった。

四天王寺にある装飾経は『扇面古写経』と呼ばれ庶民生活を知るうえで貴重な絵画資料である。

 

絵巻物は4点セット

源氏物語絵巻』は54帖に及ぶ物語の要点となる情景や場面を抜き出し、華やかな宮廷生活を描いた絵巻である。

伴大納言絵巻』は、応天門の変を題材にしている。

鳥獣戯画』は鳥羽僧正らの作と伝えられ当時の貴族社会や仏教界への風刺の意図が込められている。

信貴山縁起絵巻』は、不思議な霊力をもつ僧の物語を綴りながら、地方豪族や庶民の暮らしぶりも描かれている。ハリーポッターの原型とも噂されている。

年中行事絵巻』は、宮廷行事や祭礼・法会などを描いている。


源平の争乱

平清盛、摂津国に大輪田泊修築を行う。この他安芸国に音戸の瀬戸を開いた。

大輪田泊+音戸の瀬戸は絶対暗記事項!福原が旧摂津国か、また兵庫県かが出た。

治承・寿永の乱は1180年以仁王・源頼政挙兵から、平氏滅亡までをいう。

治承・寿永の乱

平氏

政治

戦乱・その他

後白河

清盛

②後白河法皇を鳥羽殿に幽閉

安徳天皇即位

1177鹿ヶ谷の陰謀

院の近臣による平氏打倒計画 藤原成親・僧俊寛

 

 

 

1180福原京遷都

年内に京都戻る

平清盛の死去1181

 

後白河院が京都に後鳥羽天皇を擁立1183

源頼朝と提携→義仲滅亡

⑤侍所設置

➡初代別当

(御家人:和田義盛)がなる。

1180以仁王の令旨

以仁王・源頼政挙兵敗北

平重衡→南都焼打ち

1183源義仲入京

⑧伊豆で頼朝挙兵

⑨頼朝✖石橋山の戦いで惨敗

富士川の戦いで勝利、鎌倉に戻る

 

壇ノ浦合戦で平氏滅亡1185

養和の飢饉

治承・寿永の乱の時におきた養和の大飢饉。

寿永二年十月宣旨

1183年頼朝は寿永二年十月宣旨によって後白河法皇から東海道東山道の支配権を承認された。

侍所・公文所・問注所

戦いの開始➡御家人統制の必要から➡侍所設置。

(別当:和田義盛

寿永二年の宣旨➡支配機構の整備から➡公文所

(別当:大江広元


平氏滅亡後、後白河法皇は、頼朝の支配権拡大を恐れて源義経頼朝追討の院宣を下したが失敗した。これに対し1185年、源頼朝は、弟の源義経の探索と逮捕を口実に、諸国に➡守護を、荘園や公領に地頭をそれぞれ任命する権利を獲得した。

教科書は1185年をもって鎌倉幕府成立としている。

源頼朝は荘園・公領を問わず1段あたり5の兵糧米(戦時に兵の食糧や軍事費として使われる米)

守護と地頭の出所と権限が出る!

守護東国出身の有力御家人が任命されたことが出た。


守護の権限➡大犯(だいぽん)三箇条と呼ばれた。

大番催促謀反人の逮捕殺害人の逮捕これだけ。

地頭

御家人の中から任命された。

任務➡⑴年貢の徴収・納入土地の管理治安維持

地頭が配置された荘園・公領の多くは、平家没管領(平氏から没収した所領)➡のちの関東御領である。

封建制度

土地を媒介として、主人と従者が結ばれる制度を封建制度という。

御恩奉公こそ、武士社会における結合原理、源頼朝の真骨頂。

御恩➡本領安堵➡父祖伝来の所領の支配権を保障

御恩➡新恩給与➡新たな所領などを給付 

戦時の動員は軍役、平時は番役である。番役には京都大番役鎌倉番役等がある。    

公武二元支配

幕府は諸国の国司と守護に命じて荘園や公領ごとの田地の面積などを記載した土地台帳として大田文をそれぞれ作成させた。99㌻❷参照、見過ごしやすい。

この時代には、京都の朝廷や貴族・大寺社を中心とする荘園領主の力もまだ強く残っており、政治の面でも経済の面でも、二元的な支配が特徴であった。朝廷は国司を任命して全国の一般行政を統括し、貴族・大寺社は受領荘園領主として、土地からの収益の多くを握っていた。右の図を完成させたい。

頼朝が朝廷から与えられたのが➡関東知行国、頼朝が本家・領家を務めていた荘園を➡関東御領