NO2 古墳


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NO2 古墳

POINT

古墳時代は前期・中期・後期の区別が重要!

 

NO9 古墳時代とヤマト政権 2015・本 正誤組合せ

古墳時代に関して述べた次の文adについて、正しいものの組合せを、下の①〜④のうちから一つ選べ。

 a ヤマト政権を構成する豪族らは、氏として組織化された。◯

 b ヤマト政権は、列島各地に田荘とよばれる直轄地を設けた。✖直轄地は屯倉

 c 『魏志』倭人伝によれば、倭の五王は中国の北朝に朝貢した。✖中国南朝に朝貢

 d 大王や王族に奉仕する部民として、名代・子代が設定された。◯

 ① ab    ② ad   ③ bc  ③ bd

正解→②

 

NO10 古墳時代前期の古墳 2013・本 正誤組合せ

古墳時代前期の古墳に共通する埋葬方式の特徴を述べた次の文adについて、正しいものの組合せを、下の①〜④のうちから一つ選べ。

 a 銅鏡や石製品、玉製品などが副葬された。→◯

 b 銅鏡・銅鐸・銅剣がセットとして副葬された。→✖銅鐸・銅剣が副葬、銅鏡は違う

 c 長大な竪穴式石室に木棺を納めた。 →◯

 d 長大な横穴式石室に埴輪を副葬した。→✖横穴は古墳後期

 ① ac   ② ad   ③ bc   ④ bd

正解→①

NO11 古墳時代の祭祀 2011・本

古墳時代の人々は、形の整った山や巨大な岩、太陽や高い樹木、川の淵などを神のやどるところとして恐れあがめ、祭祀の対象とした。この時代にはまた、鹿の骨を焼いて吉凶を占う【 ウ 】や。裁判に際して、熱湯に手を入れさせて、真偽を判断する【 エ 】が行われていた。また各地の首長たちは、みずからの地位や権力の大きさを示すため、民衆を使って古墳をつくった。古墳の大きさや墳形・副葬品は、古墳時代を通して変化していったが、そこに⒞彼らの支配者としての性格や、各地の首長間の勢力関係の変化をみることができる

問 空欄【エ】【ウ】に入る語句の組合せとして正しいものを、次の①〜④のうちから一つ選べ。

 ① ウ 祓  エ 盟神探湯  ② ウ 祓  エ 禊  

 ③ ウ 太占 エ 盟神探湯  ④ ウ 太占 エ 禊  

正解→③

N012 古墳 2011

 下線部Cに関連して、古墳時代前期・中期・後期に関して述べた次の文adについて、正しいものの組合せを、下の①〜④のうちから、一つ選べ。

 a 前期には、古墳に銅鏡や碧玉製腕飾りなどが副葬されていることから、首長が司祭者的

  性格をもっていたことが知られる。◯

 b 中期には、古墳に銅鏡や碧玉製腕飾りなどが副葬されていることから、首長が武人的

  性格をもっていたことが知られる。✖銅や碧玉でなく、武具や馬具

 c 後期には、有力農民層の古墳は造られなくなっていった。✖有力農民層の群衆墳造営

 d 後期には、群集墳とよばれる古墳群が増えていった。◯

  ① ac  ② ad  ③ bc  ④ bd

正解→②

 

NO13 古墳時代の政治勢力 2013

古墳時代における中央の政治勢力と地方豪族の対立関係について述べた次の文XYについて、その正誤の組合せとして正しいものを、下の①〜④のうちから一つ選べ。

 X 古墳時代中期(5世紀)には、大和・河内の大規模古墳を上回る巨大な古墳が、武蔵

  や出雲に造られた。

 Y 6世紀前半、筑紫国造磐井が、新羅と組んで反乱を起こしたが鎮圧された。

  ① X 正 Y 正  ② X 正 Y 誤

  ③ X 誤 Y 正  ④ X 誤 Y 誤

正解→③、Xは✖最大は大阪の大仙陵古墳Y→◯

 

NO14 史料『日本書紀』 2010本 

 次の史料は『日本書紀』の文章の一部である。ここには、ある政争にかかわって、二人の人物がそれぞれ戦勝祈願した結果、二つの寺院が創建されたという伝承が記されている。蘇我馬子宿禰大臣、諸皇子と群臣とに勧めて、【 】大連を滅ぼさむことを謀る。(中略)乱を平めて後に、(ある皇子の発願により)摂津国に 四天王寺を造る。大連の奴の半ばと宅とを分けて、大寺(注1)の奴・田荘とす。田一万頃(注2)を以て、迹見首赤梼(とみのおびといちい)に賜ふ。蘇我大臣、亦本願の(まま)に、飛鳥の地に【 】を()つ。

 (注1)大寺:四天王寺を指す (注2)頃:土地の面積を表す単位

問 空欄【オ】【カ】に入る語句の組合せとして正しいものを、次の①〜④のうちから一つ選べ。

 ① オ 大伴金村 カ 法隆寺  ② オ 大伴金村 カ 法興寺

 ③ オ 物部守屋 カ 法隆寺  ④ オ 物部守屋 カ 法興寺

正解→④ 飛鳥寺を法興寺と呼ぶ

NO15 蘇我馬子の時代 2010

問 下線部四天王寺は、蘇我馬子とともに戦った、ある皇子(王)が創建したと伝えられている。この人物が国政にかかわっていた時期の出来事について述べた文として正しいものを、次の①〜④のうちから一つ選べ。

     世襲による氏姓制度とは異なり、個人の功績や才能を評価する冠位の制度が定められた。

     中国南朝に使者を派遣し、倭と朝鮮半島南部での軍事指揮権を示す称号を求めた。✖倭の五王

     倭国では大きな争乱が起こり、しばらく収まらなかったが、諸国が共同して女性の王を立て、約30国からなる連合体をつくった。✖邪馬台国

     稗田阿礼によみならわせていた神話や伝承、歴史などを、太安万侶が筆録し、書物として完成させた。✖古事記

正解→①厩戸王のことだから冠位十二階

 

NO16 ヤマト政権の政治制度 2010

下線部大連の奴の半ばと宅とを分けて、大寺(注1)の奴・田荘とす。に関して誤っているものを、次の①〜④のうちから一つ選べ。

     国政を担う大連は、連の姓をもつ有力な氏のうちから任じられた。

     『日本書紀』の「改新の詔」には、豪族の所有する田荘を廃止する命令が記されている。

     有力な豪族のもとには、「奴」とよばれる人々がいた。

     四天王寺は、人や土地を所有することが禁じられていた。

正解→④。史料文に「大寺の奴・田荘とす」とあるので、四天王寺が人や土地を所有していたことがわかる。

 

NO17 ヤマト政権の時代 2005 年代整序

古い順に並び替えよ

1.大王の墓とみられる誉田山(誉田御廟山)古墳が造られた。

2.物部守屋を滅ぼした人物が,さらに在位中の大王を暗殺した。

3.大伴金村らが,継体を大王に擁立した。

 

答➡1—3—2

1.誉田山古墳は古墳中期(5世紀ごろ)

3.古墳時代のあと大伴氏が台頭するのは6世紀前半。

2.蘇我氏(物部守屋を滅ぼした人物は蘇我馬子)の権力掌握は6世紀後半。

 

NO18 東アジアと倭国 2006追 年代整序

古い順に並び替えよ

1倭王武が中国南朝に朝貢して,称号を与えられた。

2.対朝鮮政策の失敗により,大伴氏が失脚した。

3.倭が海を渡り,高句麗好太王(広開土王)の軍と戦った。

 

【古代03解答】[3→1→2

3.「高句麗好太王碑文」によれば,高句麗と戦ったのは4世紀末。

1.倭の五王の時代は5世紀ごろ(『宋書』より倭王武の朝貢は5世紀後半)

2.大伴氏(大伴金村)が失脚したのは6世紀のこと。

 

NO19 朝鮮伝来の文化 2012

古い順に並び替えよ

1.朝鮮半島から伝わった技法により,日本列島で須恵器が作られはじめた。

2.百済の観勒によって暦法が伝えられた。

3.百済の聖明王から倭国に仏像などが送られ,仏教が公式に伝えられた。仏教公伝538

【古代04解答】[1→3→2

1.須恵器が作られ始めたのは古墳中期(5世紀ごろ)

3.仏教の伝来は6世紀の中ごろ(戊午説は538年,壬申説は552)

2.観勒により暦が伝えられたのは7世紀前半(飛鳥文化)

 

2018本試験 史料 国宝の鉄剣が出土した埼玉古墳群

次の史料は埼玉県の稲荷山古墳から出土した鉄剣名の一部である。この史料に関して述べた下の文XYについて、その正誤の組合せとして正しいものを、下の①〜④のうちから一つ選べ。

史料

其の児、名は乎獲居の臣。世々(注1)、杖刀人の首と為り(注2)、奉事し(注3)来り今に至る。獲加多支鹵の大王の寺(注4)、斯鬼の宮に在る時、吾(注5)、天下を左治し(注6)此の百練の利刀(注7)を作らしめ、吾が奉事の根原を記す也。

(「稲荷山古墳出土鉄剣銘(裏側:部分)」)

(注1)世々:代々の大王の治世。

(注2)杖刀人の首と為り:「杖刀人」という大王の親衛隊の中心をつとめ。

(注3)奉事し:大王に奉仕し。

(注4)寺:役所(朝廷)。

(注5)吾:「乎獲居の臣」のこと。

(注6)左治し:統治を助け。

(注7)百練の利刀:何回も鍛えたよく切れる刀剣。

 

X 史料には、「獲加多支鹵の大王」の役所(朝廷)が「斯鬼の宮」にある時、「乎獲居の臣」は、大王が天下を治めることを助けたことが記されている。

Y 史料にある「獲加多支鹵の大王」は、熊本県の江田船山古墳から出土した鉄刀銘にある人物と同一とみなされる。

 

 ① X 正 Y 正   ② X 正 Y 誤

 ③ X 誤 Y 正   ④ X 誤 Y 誤

正解→②

 

2018本試験 古代の国家・社会と音楽

原始・古代の国家・社会と音楽との関係に関する次の文章ABを読み、下の問いに答えよ。

A 発掘調査によって、原始・古代の人々の奏でた音を推測させる資料が見つかることがある。たとえば、縄文時代の遺跡から石や土で作られた笛が発見されているが、これは狩猟の場面などで使用されたと考えられている。弥生時代の釣り鐘状の青銅器である銅鐸は,【 ア 】を中心に出土している。その表面には脱穀の様子を描いたものなどがあり、農耕の祭りのなかで用いられた可能性が高いとされる。古墳時代に制作された埴輪のなかには、琴や太鼓を演奏する人物をかたどったものがある。これは、当時の葬送儀礼の様子を推測させる資料であるとともに、⒜大王や豪族に仕えた楽人の存在をうかがわせるものである。

 文献資料のなかにも歌舞や演奏の場面が多く見いだされる。【 イ 】が詠み習った内容を太安万侶が筆録した『古事記』には、天皇の系譜や神話・伝説とともに多くの歌謡が載せられている。音楽は、特に神祭りの際に重要な役割を果たした。史実とはみなしがたいものの、『古事記』や『日本書紀』には、琴の演奏によって神託を得た神后皇后が⒝新羅を征討したという説話が記されている。

 

問1 空欄【ア】【イ】に入る語句の組合せとして正しいものを、次の①〜④のうちから一つ選べ。

 ① ア 九州北部  イ 稗田阿礼

 ② ア 九州北部  イ 淡海三船

 ③ ア 近畿地方  イ 稗田阿礼

 ④ ア 近畿地方  イ 淡海三船

正解→銅鐸は近畿地方 参照弥生プリント

鉄器実用品農具武器として普及


青銅器は祭器である。豊かな収穫を祈願し収穫を感謝する祭りがとりおこなわれ、そこで用いられた。

近畿→ 銅鐸 

瀬戸内海中部→平形銅剣

九州北部→銅矛・銅戈

 

荒神谷遺跡(島根)銅358本、銅鐸6本、と銅矛16本が出土。出雲地域は畿の銅鐸と北部九州の銅矛という二種の祭器を持つ勢力からの友好の誘いかけを受け、両者を睨みながらキャスティングボードを握る力を持っていたのだ。邪馬台国誕生前夜の政治的緊張が高まっていたといえよう。

 

問2 下線部⒜大王や豪族に関連して、ヤマト政権の政治連合に参加した豪族について述べた文として正しいものを、次の①〜④のうちから一つ選べ。

   豪族は、政治連合に参加すると、前方後円墳の築造が禁止された。

   豪族は屯倉とよばれる私有地を領有して、みずからの経済基盤とした。

   豪族は、氏を単位として、ヤマト政権の職務を分担した。

   豪族は、子弟を公奴婢にして、大王へ出仕させた。

正解→①は増加したから✖豪族の私有地は屯倉でなく田荘だから②は✖。出仕したのは舎人・采女であり✖。正解→③

 

問3 下線部に関連して、ヤマト政権(倭)と朝鮮半島との関係に関して述べた次の文Ⅰ〜Ⅲについて、古いものから順に正しく配列したものを、下の①〜⑥のうちから一つ選べ。

 Ⅰ 新羅と結んだ筑紫国造磐井が、大規模な反乱を起こした。

 Ⅱ 朝鮮半島での立場を有利にするため、倭の五王が中国に朝貢した。

 Ⅲ 朝鮮半島に渡った倭の兵が、好太王(広開土王)に率いられた高句麗の軍隊と交戦した。

 ① Ⅰ—Ⅱ—Ⅲ  ② Ⅰ—Ⅲ—Ⅱ  ③ Ⅱ—Ⅰ—Ⅲ

 ④ Ⅱ—Ⅲ—Ⅰ  ⑤ Ⅲ—Ⅰ—Ⅱ  ⑥ Ⅲ—Ⅱ—Ⅰ

正解→⑥           

 

古墳時代は前期・中期・後期の区別

 

 

 

 

 

前期

3C末~4C

各地に

前方後円墳

竪穴式石室

副葬品銅鏡 碧玉

被葬者:【司祭者】性格

箸墓古墳(奈良)…前期最大273m 最古の前方後円墳 卑弥呼の墓?

中期

4C末~5C

各地に

前方後円墳

巨大化・全国化

竪穴式石室

副葬品:武具・【 馬具

被葬者:【武人的】性格

大仙陵古墳

誉田御廟山古墳】(大阪)

造山古墳】(岡山)

太田天神山】古墳

東日本最大(群馬)

後期

6C

群集墳

後期→群集墳

(有力農民)

横穴式石室】追葬可能

玄室羨道) 藤ノ木古墳

副葬品:

日常品形象埴輪

新沢千塚(奈良)

岩橋千塚(和歌山)

吉見百穴(埼玉)

終末

7C

前方後円墳の消滅

八角墳

大王にのみ固有の八角墳、一般の豪族層を超越した存在を示す。

龍角寺岩屋(千葉)

壬生車塚(栃木)

リカバリーシート  ヤマト政権の政治制度

   姓   授与される豪族

】大和盆地の地名を氏の名とする有力豪族〔葛城・蘇我・出雲・吉備など〕

】職掌を氏の名とする有力豪族

】地方の有力豪族

】地方支配の豪族

地位   解説

大臣 政治の中枢を担う、臣姓の最有力者  大連 】政治の中枢を担う、連姓の有力者

伴造 】伴・品部を率いて職掌を分担【 国造 】地方の支配(服属した地方豪族)

部民   解説

名代・子代 】各地に設けられた、ヤマト政権の直轄民

品部 】職能で奉仕した部民〔史部・韓鍛治部・陶作部〕

奴 ・ 奴婢 】氏に隷属する家内奴隷

土地   解説

屯倉 】朝廷の直轄地

田荘 】豪族の私有地