中世の文化と南北朝の動乱・江戸初期の時代思潮 2009第1問


  円通寺から比叡山を望む
  円通寺から比叡山を望む

山川の教科書で、どれだけ書けるか!そんなスタンスで。

年度 2009設問番号 第1問

 

 次の史料は,西川如見が庶民に向けて書いて出版した教訓書の一節である(史料は一部省略・改変したところがある)。これを読んで,下記の問いに答えなさい。(問1から問6まですべてで400字以内)

 

茶湯〔ちゃのゆ〕は鎌倉北条の末に興り,高時の比〔ころ〕武家に翫〔もてあそ〕ぶもの多くて,千劔破〔ちはや〕の城,寄手〔よせて〕共百服茶湯を致して遊びけるよし太平記に見えたり。そののち足利将軍義政公に至りて盛〔さかん〕に成,世の風流を好む人専ら是を翫〔もてあそ〕ぶ事になり,夫より色々の茶人共出て世にもて広め,太閤秀吉公の御時に至りて士庶人共に此道に尊〔たっとび〕て,是にうとき人を以て世の野人とす。其根本は禅家隠遁者の体〔てい〕をうつして質素簡素を学びたる物也。

 

(『町人嚢〔ふくろ〕』)

 

百姓といへども,今の時世にしたがひ,をのをの分限に応じ,手を習ひ学問といふ事を,人に尋聞〔たずねきき〕て,こころを正し,忠孝の志をおこすべし。
或〔ある〕村長〔そんちょう〕の百姓問ふ。農事閑暇の時々は,平家物語,太平記の類,其外軍記等,読み見る事よからんや。予いはく。都〔すべ〕て歴代の記録軍記は,古今世の盛衰治乱を書記〔しょき〕して,後の代の人の戒めとなさしめ,国を治め家をととのへ,身をたもち心を正して,上下安静ならしめんと也。一向に慰〔なぐさみ〕の為とおもひては読むべからず。

 

(『百姓嚢』)

 

問1 初期の茶の湯において流行した方式を一つあげ説明しなさい。

⇒闘茶。茶の異同を飲み比べ茶の産地をあてる賭け事。この問題自体、一橋らしくない出題形式だ。まあ、それはさておき教科書のどこに初期の茶の湯が書かれているかを調べる。


問2 将軍義政の頃に世に出て,新しい茶の湯の方式を創出した人物の名前をあげるとともに,それがどのようなものか,説明しなさい。

⇒村田珠光。禅の精神を加味し、簡素・閑寂を精神とする侘び茶を創出した。


問3 秀吉が「士庶人」の身分の別なく参加させて開いた茶会を何というか。またそれに参加した代表的茶人の名を一人答えなさい。

⇒北野大茶会。千利休。


問4 『平家物語』はどのような物語であるか説明するとともに,これがどのようなかたちで広められていったのか,答えなさい。

⇒平安末期、平清盛とその一門の盛衰を描いた軍記物で琵琶法師によって平曲として語り継がれた。

山川教科書108ページに「平氏の興亡を主題とした『平家物語は最高の傑作で、琵琶法師によって平曲として語られたことで、文字を読めない人々にも広く親しまれた」。とある。

 問5 『太平記』に描かれた時代は,大きく社会が変容した時代でもあったが,どのように変容したのか,説明しなさい。

⇒太平記に描かれた時代とは鎌倉末期から南北朝時代。

山川教科書116ページ~118ページ変容のヒントが書かれてある。

「すでに鎌倉時代後期ころからはじまっていた惣領制の解体があり、単独相続が一般的になった。この変化は血縁的結合を主とした地方武士団が、地縁的結合を重視するようになっていくことでもあった。動乱の中で地方武士の力が増大してくると、これらの武士を統括する守護が軍事上、大きな役割を担うようになり、強化された権限を利用して荘園・公領を侵略して一国全体におよぶ地域的支配権を確立するものもでてきた。それに対して在地の領主であった国人は一揆を結んで自主的な地域権力をつくりあげた。」

 単独相続により庶子が相続されず、そんなら家を出て強いものにつくしかない、そんな現実的利益を求め、血縁より地縁への変化を書くのが大事だ。

農民については、122ページから123ページを見ると、ありました。

「惣村は、古くからの有力農民であった名主層に加え

公家勢力の後退と惣村の発生については、山川教科書116P 。まとめると以下のようになる。

 武士社会では惣領制の解体が進み、分割相続から単独相続が一般的になり、血縁的結合より地縁的結合が重視されるようになった。守護が大きな役割を担うようになり、強化された権限を利用して荘園・公領を侵略して一国全体の支配を進める一方、在地領主である国人たちの中にも一揆を結んで自主的な地域権力をつくりあげる者がでた。畿内やその周辺では農民たちがつくり出した惣とよばれる自治的な村が形成された反面、公家などの領主権力は後退した。
 問6 西川如見のいう「今の時世」とはどのような時世か,説明しなさい。

百姓蓑なんて誰も知らない。

山川教科書で西川如見に触れているのは一ヶ所のみ。

 

楠正成・正行父子にまつわる壮大な物語

太平記にまつわる大きな話 

 太平記は、南北朝の動乱の全体像を描いた軍記物語である。私たちの時代であれば吉川英治の『太平記』が多くの人に読まれている。NHKの大河ドラマに登場した時は驚きをもって迎えられた。朝敵、足利尊氏を主人公にする、その大胆さに驚愕した人々も多くいた。

 

 明治6年(1873)に発行された国語の教科書『小学読本』に楠正成・正行父子の話がのっている。延元元年(北朝では建武三年)五月、兵庫の合戦におもむいた楠正成は、途中、摂津国桜井で嫡子正行に遺訓する。このたびの出陣が自分にとって最期の合戦になること、そして自分が死ねば、天下はかならず足利尊氏のものとなるが、しかし汝は、その期におよんでけっして卑怯未練なふるまいをせず、父の「多年の忠烈」の志をついで「再び義挙を挙」げるべきである。「汝の孝行これに過ぎたる事なし」。このように言いおいた正成は、正行を故郷の河内へ帰しつかわし、兵庫湊川の合戦で壮烈な最期をとげた。