明治憲法と政党政治、首相の権限強化 2006第2問

       井上毅
       井上毅

大日本帝国憲法(明治憲法)について,次の問いに答えなさい。

 

問1 明治憲法の制定は,日本における政党政治の発展にとって重要な意義を持った。明治憲法の内容に即しながら,その理由を具体的に説明しなさい。
問2 その一方で,明治憲法は政党政治の発展にとっての障害ともなった。明治憲法の内容に即しながら,その理由を具体的に説明しなさい。
問3 明治憲法では,国務各大臣が天皇を直接補佐する方式がとられているため,総理大臣の権限は決して大きなものではなかった。明治憲法の制定後,総理大臣の権限を強化するために,どのような措置が講じられるようになったのか,具体的に説明しなさい。

 

問1について

この問題はどんな観点から答えるべきか? と考えていたらヒントが舞い込んできた。

『日本歴史』第16巻 近現代2 が発売になった。その中に、「明治憲法体制の成立」坂本一登氏の論文が格好のヒントになるのである。

「もちろん、明治憲法は、外交権や官吏の任命権および軍事編制権など、広範な天皇大権を規定した君主主義の憲法であることは自明である。それゆえ、通例、議会の関与を可能な限り制限しようとした、行政権優位の憲法と評される。しかし、その行政権の優位は、会計の分野において「行政国家」構想が後退を余儀なくされた結果、思いのほか脆弱で、既定の予算額を一歩でも超えて国家運営を行おうとすれば、たちまち議会の壁、つまり租税法律主義と予算議定権とに直面するという構造をもっていた。すなわち、こうした明治憲法体制の構造が、藩閥政府と政党との提携を必然とし、やがて政党内閣をも出現させる背景となっていくのである。」13~14㌻。

そうか、政党政治を実現させる秘密が始めから備わっていたと考えるとわかりやすいのだ。

まず、政党政治とは何か?

政党内閣が成立しそのもとで政治が運営されていくことである。

その政党政治が明治憲法で規定されていたのか?が問われている。

これは帝国議会が二院制をとり、その一院が公選制の衆議院で構成されている。すなわち、

政党政治とは,「政党内閣」が継続し,そのもとで政治が運営される状態をさす言葉だが,では「政党内閣」とは何か?
○衆議院に基盤をおく政党の党首を首相とし,
○閣僚の過半が政党員によって組織された
内閣である。
このことを念頭におけば,公選制議会の規定とその権限に注目すればよいことがわかる。
明治憲法では二院制の帝国議会が規定され,二院の一つとして公選制の衆議院が開設された。そして,帝国議会は天皇の協賛機関として予算や法律の審議・承認権をもった。いいかえれば,予算や法律は帝国議会の審議・承認を経て成立するものとされ,なかでも増税の決定権を帝国議会が掌握していた。さらに,衆議院は貴族院よりも予算案を先に審議する権限を認められていた。そのため,衆議院に基盤をおく政党が予算審議を軸としながら内閣や国政運営に対する発言力を強化していき,そのことが政党内閣を成立させる要因となった。

 

問1について

問2
明治憲法が政党政治の発展にとっての障害となった理由は何か。条件として,明治憲法の内容に即して説明することが求められている。これも定型的な出題。 まず政党内閣が成立しにくかった理由から考える。
先ほどの政党内閣の定義を念頭におけば,