4 明治維新


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NO4 明治維新・新政府の発足

1868 戊辰 戦争(〜69)✖鳥羽・伏見の戦い→江戸無血開城

会談: 勝海舟 (幕府)・西郷隆盛(新政府)・ イギリスの【 パークス 】が貿易等への混乱を恐れ、その実現に尽力した。

奥羽越列藩同盟

会津藩が中心となって結成。会津【 鶴ヶ城 】は落城し【 白虎隊 】の悲劇、藩士らは不毛・厳寒の地斗南藩に流される。

   〈新政府⇆旧政府〉  

箱館 五稜郭 の戦い(榎本武揚降伏)土方歳三死す。

 

3/14 五箇条の誓文(新政の基本方針)天皇親政を企図

 公議世論・開国和親

 〈由利公正福岡孝弟木戸孝允〉史料参照

史料研究 五箇条の誓文

Q1.「広ク会議」は最初は★★と記されていた。列候会議

Q2.「広ク会議」と加筆修正した人物は★★である。木戸孝允

Q3.「旧来ノ陋習」とは★を意味する。

攘夷運動

Q4.この史料の名称は★★である。

五箇条のご誓文

Q5.これを発布したのは★★天皇である。

明治

Q6.この史料の原案起草は★★、原案修正は★★である。

由利公正福岡孝弟

また、木戸孝允が第1条を修正し、形式を整える等で関わっている。

3/15五榜の掲示(旧幕府の民衆統制継承)→五倫道徳→一

*高札の形式→対民衆  徒党・逃散・強訴禁止 キリスト教禁止浦上信徒弾圧のちに容認。

一神教的な神道国教化を夢想した。

 アメリカの制度を参考に政体書

→〈中央〉太政官七官制(三権分立・官吏公選)

 〈地方〉府藩県三治

東京遷都→東京府(1943東京都)東の京都

慶応→明治改元→一世一元制(1人の天皇に1人の元号)

👉天皇による時間の支配だ。

 神仏分離令(神道国教化政策)→廃仏毀釈島地黙雷らの反発)

長州・薩摩という新権力による千年以上の永きにわたって創り上げられた固有の伝統文化の破壊活動である。長州・薩摩下層階級が最初にかぶれた思想は平田派国学を旗印に掲げ、神道国教・祭政一致を唱えたのである。


廃藩置県

1869版籍奉還 ……………・ 薩長土肥 藩主の奉還建白→奉還命令

 版とは各藩の 領地 、籍とは 領民 を指す。藩の領地と領民を天皇に返すわけだ。

〈名目的中央政権〉・旧藩主→知藩事に任命(藩政を司る)

二官六省制 太政官 の上位に 神祇官

1871 廃藩置県 ……………・ 薩長土 御親兵〈(72)近衛兵→(91)近衛師団〉

〈実質的中央集権〉 

・藩政全廃→3302県→372県→(88)343

・知藩事罷免(東京集住)⇄中央から府知事・県令

太政官三院八省制( 正院 /左院/右院)→こうして神格的権威者の天皇を頂点とする有司専制が確立し、官僚の大部分は薩長土肥出身者で占められる 立法と行政の関係は明瞭でなかった

史料研究 徴兵告諭

『我ガ朝上古ノ制、海内挙テ兵ナラザルハナシ(律令制下の軍団制のこと)。然ルニ大政維新列藩【版図を奉還】し、辛未ノ歳(=1871年)に及び遠ク【郡県ノ古ニ復ス(=廃藩置県)世襲坐食ノ士ハ、其ノ禄ヲ滅ジ、刀剣ヲ脱スルヲ許シ、四民漸ク自由ノ権ヲ得セシメントス。然ラバ則チ人タルモノ固ヨリ心力ヲ尽シ、国ニ報ゼラルベカラズ。西人レヲ称シテ①血税ト云フ。』

Q1.「列藩版図ヲ奉還」とは★★のことである。(日本女子)版籍奉還

Q2.「辛未ノ歳」とは西暦★★のことである。(日大)1871

Q3.「遠ク郡県ニ復ス」とは★★のことである。(日本女子)廃藩置県

Q4.この史料の名称は★★である。(同志社)徴兵告諭

 Q5. ①に入る語句を記せ。 血税

徴兵令

国民皆兵制に基づく近代軍の創設は(大村益次郎)【長州】完成は(山県有朋)【長州】山県は1869年長州藩主、毛利敬親の命で欧米視察をしている。長州が陸軍を創設し日清戦争・日露戦争を戦い、そしてアジア・太平洋戦争へと突き進むのである。これからの長州閥を是非見て欲しい。

鎮台】設置:東京・大阪・熊本・仙台(のち名古屋・広島)

徴兵告諭では、①家督相続人②洋行者③代人料270円以上納入者④官立学生を免除とした。国民皆兵には程遠かった。 内務省は全国の警察制度を統括し、1874年には首都の東京に【警視庁】を置いた。あらたに配属された邏卒は巡査と改称された。なお初代内務省を設立したのは【大久保利通】道は✖だよ、通だ。

地租改正

目的 安定した財政基盤 と近代的な 土地所有権 を確立する。

 前提として1871年に( 田畑勝手作り )を許可し、翌年( 田畑永代売買 )の禁令を解いて地券を発行し、年貢負担者に土地所有権を認めた。この地券を壬申地券という。

地租改正の内容1873年制定。


①課税の基準を法定地価とする、②( 物納 )→( 金納 )に改める。 ③地券所有者を( 納税者 )とするが、主な内容。( 入会地 )等のうち所有権が立証できない土地は( 官有地 )となった。

地租改正反対一揆…代表的なものは、

真壁騒動 )=茨城大一揆、伊勢騒動など。1877年に、税率が地価の3%から( 2.5 )%に引き下げられた。この結果、1878年には、国税に占める地租の割合が( 80 )%を割った。「竹槍でドンと突き出す( 二分五厘 )」の穴埋めが出題されている。

   

身分制改定
 大名・公卿=華族(2800人)…特権付与武士=士族(+卒族)(190万人)…秩禄支給
 農工商=平民(3100万人)

身分解放令→「えた・ひにん」の賤称廃止→解放令反対一揆cf)穢多・非人解放令
江戸時代に四民の下の身分に置かれていた「えた・ひにん」に対しても解放令が出された。
えた・ひにんの数は50万人、1.7%。江戸時代には差別をされていた。一般農民は結婚を避け、着物も渋染めのものを着せたりする。裸足を強制したりチョンマゲを結わせないなどのこともあった。えた・ひにんはその中同士で結婚し、周りとは別の場所、川のそばのじめじめしたところなどに住まわせられていた。仕事は死牛馬の解体、死体の火葬などで、身分制の江戸時代では他には替われなかった。

 戸籍法→(1872 壬申戸籍 →「新平民」と記載され差別残存

武士身分の解体

 金禄公債証書 (平均・華族=6万4千円、士族=500円)→華・士族の禄制全廃

秩禄処分 (武士の封建的特権の有償解消)←国家財政の三分の一

      ・江戸時代の俸禄    →家禄  →明治政府が負担

        ・維新の功労者→賞典禄   

 秩禄奉還 の法  1873
武士には退職金を支う。秩奉還の法は、 奉還を願い出た者には年分のの半分を現金、半分を金利8%の公債でうもの。1年分の国庫を使って30%を分。足りない分はイギリスで外債募集した。早めに退職を申し出れば退職金がアップするのは今も同じ。これで半分の武士は退職した

金禄公債証書発行条例 1876→公債による一時金支給で秩禄打ち切り

今で言えば国債をイメージすればよい。
士族の平均額面は548円だった。5%の利子で現在の金額に換算すると年438000円である。これでは生活できない

    * 士族授産 (資金貸付・屯田兵)→“ 士族の商法 ”で失敗→不平士族


    *士族反乱→(74)佐賀の乱〈 江藤新平

          (76)廃刀令←(71)脱刀令

              ↑

             神風連 の乱 → 秋月 の乱 →萩の乱

            〈太田黒伴雄〉〈宮崎車之助〉〈 前原一誠

          (77)✖ 西南戦争 〈西郷隆盛〉

西郷隆盛、私学校メンバーの挙兵(最大の不平士族の乱)
西郷は賞典禄で私学校を作る。13の分校を持ち、軍隊と変わりない。県令以下の役人は全て鹿児島県人とし、区長や戸長には全て私学校の幹部をあて、私学校の指導で県の政治を動かすようになった。税は中央に入れず、秩禄処分、地租改正もおこなわれず。旧暦を維持し、士族は刀を差して西郷の元に集まっている。中央から独立した鹿児島軍閥政権である。ただ農民の支持がなかった。士族独裁だから負けたのだ!