25 南北朝文化・北山・東山文化


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25 南北朝・室町文化.pdf
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コメント: 1
  • #1

    田中 (水曜日, 24 10月 2018 12:46)

    勉強になりました


南北朝時代の文化 

14世紀前半 歴史書・軍記物が代表内乱期の反映

特色:新興武士の気質(バサラ〈派手・贅沢〉)を強く反映

   歴史書や軍記物語の作成

増鏡』は源平の争乱を(公家)の立場から書かれ、『梅松論』は、足利氏の政権獲得過程を(武家)の立場から叙述。増鏡は四境の最後、あとの三つは古い順から『大鏡』『今鏡』『水鏡』である。

神皇正統記北畠親房が皇位継承の道理を南朝の側から叙述した。伊勢神道の造詣が深い。他に有職故実書職原抄を著した。両著書とも南北朝の戦いで、彼が常陸国で書いたことが出る。常陸の小田城で書かれたが早稲田で出た!有職故実:建武年間行事…後醍醐天皇

 

 南朝方:『太平記』…軍記物  小島法師作() 14世紀頃、九州探題今川貞世がこの書の不足不備を補うためと称して著した書は『難太平記』と名付けられている。

連歌…武家・公家問わず流行したことが「二条河原落書」を例に出ている。

菟玖波集(初の連歌集)・応安新式(連歌の規則書)➡関白二条良基

庭園…天龍寺庭園・西方寺(苔寺)➡(夢窓疎石134㌻参照

水墨画:山水・花鳥・人物を墨の濃淡で描き、禅の精神を象徴的に表現

美術  水墨画明兆(みんちょう)…「五百羅漢図」

寒山図(可翁)

建築 永保寺開山堂(禅宗様)…岐阜夢窓疎石が開く

北山文化[足利義満時代]

金閣(鹿苑寺舎利殿) …義満の 北山山荘(北山第)

1・2層は和様(寝殿造)3層は禅宗様  外壁に金箔

            天龍寺
            天龍寺

整理Ⅰ【京・鎌倉五山】とりあえず五山を押さえよう。南禅寺と一位~三位まで知っていればOKだけど、京・鎌倉がゴッチャにならないように気をつける。上が開山・下が出資者。

 

別格上位

一位

二位

三位

四位

五位

南禅寺

天竜寺

相国寺

建仁寺

東福寺

万寿寺

 

夢窓疎石

夢窓疎石

栄西

 

 

 

足利尊氏

足利義満

源頼家

 

 

鎌倉

 

建長寺

円覚寺

寿福寺

浄智寺

浄妙寺

 

蘭渓道隆

無学祖元

栄西

 

 

 

北条時頼

北条時宗

北条政子

 

 

五山十刹じっさつ足利義満の頃 がともに栄西が開山であることが覚えるカギになる。義満は、臨済宗のお寺のランキングである五山十刹(じっさつ)の制(=臨済宗のお寺は官寺に)を整備した。これは宋の制度のまねで、鎌倉時代に原型が出来ていた、というのは正誤問題対策で発展レベル。これに加えて僧侶のランクも決めたが、その頂点が僧録司で、初代に春屋妙葩を任命している。(ランク好きな人ですね)

五山僧は、幕府の政治外交顧問としても活躍

五山文学…五山僧による漢詩文の隆盛 

ex絶海(ぜっかい)中津(ちゅうしん)義堂(ぎどう)(しゅう)(しん)

  五山版の出版(中国書籍の再版など  ex.「正平版論語」)

水墨画 (じょ)(せつ)…「 瓢鮎(ひょうねん) 」が頻度で一番  周文(しゅうぶん)…「寒山拾得(かんざんじっとく)

      建築   興福寺東金堂・五重塔(再建 和様)  鹿苑寺金閣

      庭園   鹿苑寺庭園  …代表的な池泉(ちせん)回遊式庭園

芸能

古来の神事芸能(=神に捧げる芸能)であった「猿楽」」「田楽」が歌いながら踊る歌舞・演劇の形を整えていく。寺社に属する座が結成され専門的な芸能集団を形成する。 

足利義満の保護を受けた観世座の

観阿弥世阿弥父子によって芸術性の高い「猿楽能」が完成される。世阿弥の著が風姿(ふうし)花伝(かでん) (花伝書)』。を覚えよ!能の脚本を「謡曲」と言う。

猿楽の大和猿楽四座が隆盛本所は興福寺 

                        

義満の保護           

→世阿弥元能(申楽談義(さるがくだんぎ))金春禅竹(こんぱるぜんちく)らが継承

 狂言…猿楽の滑稽味を継承  庶民劇  能の合間に演じられる。

1374年京都今熊野の演能に将軍義満を迎えて観阿弥・世阿弥親子にとって終生の大事件であった。伊賀の田舎から出発した

 

東山文化

銀閣…足利義政が京都東山に建てた山荘。義政の死後寺院となり➡慈照寺と称された。キーワド下層➡書院造上層➡禅宗

内部➡付書院明障子違い棚を言えるように。

枯山水

同朋衆(将軍の側近に侍して芸能などに従事した人)

禅の精神で統一された庭園①龍安寺

大徳寺大仙院 

作庭を担当した山水河原者は賤民身分。東山山荘を建てた➡善阿弥 

水墨画=遣明船で明に渡り水墨画を学んだ雪舟 

土佐派土佐光信大和絵を、水墨画大和絵の手法を取り入れた狩野派狩野正信元信父子。

彫刻…能面の制作をした後藤祐乗 

京都 六角堂
京都 六角堂

お茶の簡単な歴史

3人組を時期を間違えずに覚えるのが大切。「侘」の字、よく間違えるよ。

鎌倉

栄西が宋からお茶の種を持ちかえる。その上、「お茶は薬になる!」という本『喫茶養生記』を書いた。

南北朝期

闘茶(お茶の産地当てクイズ大会)・茶寄合の流行。

東山期

村田珠光  奈良の商人で、侘び茶を創始。禅の心をお茶に持ち込んで、茶の湯を簡素化した。禅は一休さんに学んだのだった。

戦国期

武野(たけの)紹鷗(じょうおう) 堺の商人 侘び茶をさらに簡素化。

桃山期

 千利休が大成。

 

華道

 池坊専慶:京都六角堂にいて、座敷の床の間を飾る立花(たてはな)様式を確立

樵談治要(きこり)でも徳をもとに国を治める方法を話している(談)一条兼良が9代将軍足利義尚の質問に答えた政治意見書。彼は他にも有職故実書の公事根源と源氏物語の注釈で花鳥余情がある。

唯一神道吉田兼俱が本地垂迹説などを批判し、神道に仏教・儒学などを取り込んだ教説。

庶民文芸の流行

一寸法師など、おとぎ話として親しまれているのを御伽草紙と言う。

幸若舞…太鼓を伴奏として謡いながら舞うもの、織田信長が愛好した。

小唄…庶民の間で流行し、口ずさまれた歌謡である。小唄などを集録した➡閑吟集を記憶したい。

いろは順に日常用語などを編集した辞書を節用集と言い、奈良の饅頭屋宗二が出版した。

二条良基:彼は南北朝時代の人で北朝の摂政・関白・太政大臣。応安新式➡鎌倉時代からある規則を応安、新しく定めたものなので新式。『菟玖波集』は和歌の勅撰集と同格と見なされた。

宗祇の正風連歌は和歌の伝統を生かした芸術的な連歌、代表作が新撰菟玖波集

宗鑑はより自由な気風を持つ俳諧連歌を作り出し犬菟玖波集を選集した。

風流踊りは祭礼などで趣向を凝らした踊りで庶民に広まった。

盆踊り…祖先の精霊を迎えて供養し、霊を送る行事の時に踊られた。

文化の地方普及 146P

山口…文化の地方普及は、京都の荒廃、貴族の窮乏化、城下町の形成、大名の中央文化への憧れがキーワード、代表的城下町山口は、大内氏寧波の乱で細川氏に勝利して以来日明貿易を独占して繁栄し、五山の禅僧や公家が多く集まって文化的に発展した。

禅僧の桂庵玄樹は肥後の菊池氏や薩摩の島津氏に招かれて儒学を講義。薩南学派のもとを開いた。彼が大内領内で活動していたことも出た。また朱熹の『大学章句』を刊行したことは必ず記憶すること。

足利学校:関東管領上杉憲実によって再興された。フランシスコ=ザビエルにより坂東の大学と称された。庶民の学校ではなく禅僧や武士に高度な教育を施したことが重要。

寺院での教育…対象は地方武士の子弟。教科書として『庭訓往来』や『御成敗式目が用いられた。

町人による書物の刊行

節用集』は奈良の饅頭屋宗二が出版した。

新仏教の発展

林下五山より自由な活動を求めて地方武士・民衆へ布教した禅宗諸派の寺院。布教の中心は臨済宗の大徳寺妙心寺、曹洞宗の永平寺・総持寺。僧では一休宗純が出る。

日親…京都を中心に、中国・九州に日蓮宗を布教した。6代将軍足利義教に『立正治国論』をもって諫言した。

鍋かぶり日親とも言われた。カップラーメンの元祖(笑)。にっしん!

法華一揆…京都で豊かな商工業者により結ばれる。1532年に山科本願寺を襲撃。

天文法華の乱1536年、日蓮宗と対立を深めた延暦寺は、僧兵を京都に侵入させ日蓮宗寺院を焼打ちにした。

蓮如…応仁の乱の頃、経ではなく平易な文章を御文を使って阿弥陀仏の救いを説いた。また、を組織し、特に北陸・東海・近畿に広まった。蓮如は石山本願寺の基礎を築いた僧であり、本願寺8世の法主である。一橋大の論述でも出た。