32 冷戦

トルーマン大統領
トルーマン大統領

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冷戦

米ソを中心とする資本主義VS社会主義の睨み合い

西側(資本主義VS東側(社会主義)

進行ヤルタ会談1945年)➡「鉄のカーテン」演説(1946年)

イギリスのチャーチル首相はアメリカのミズーリ州フルトンのウェストミンスターカレッジで演説し、「バルト海のステッティンからアドリア海のトリエステにいたるまで鉄のカーテンが大陸を横切って降ろされている」と表現した。

➡ベルリン封鎖(1949年)壁構築

政治 トルーマン=ドクトリン VSコミンフォルム 

対ソ封じ込め政策 ▶東側共産党の結束

経済  マーシャル=プラン VSソ➡コメコン(経済相互援助会議)

     ▶米➡西欧への援助 ▶ソ➡東欧への援助

西側から東側への輸出はCOCOM対共産圏輸出統制委員会で制限された。★1999追試

  NATO (北大西洋条約機構)VS WTO ワルシャワ条約機構 

西側軍事同盟  ▶東側軍事同盟

➡ことごとく対立しかし、熱戦には至らず、冷戦である。

 

雪解け(= 緊張緩和 )の動き

・ジュネーブ会議(1954年)…東西首脳の初顔合わせ(米・英・仏・中・ソ)

・ジュネーブ四巨頭会談(1955年)再び東西首脳の顔合わせ(米・英・仏・ソ)

・資本主義との平和共存路線(1956年)

 フルシチョフ が提唱➡ ケネディ も呼応。

スターリン批判を行う。

BUT

 キューバ危機 1962年)で米ソ核戦争の危機

  ➡話し合いで解決

  ▶その後米ソ首脳間に ホットライン (直通電話)設置。

 多極化 進行…キューバ危機前後より 米ソ二極優位の崩壊 

西側 日本・ECの台頭/フランスの独自外交(中国承認・NATO脱退)

東側  中ソ対立 (国境紛争に発展)/チェコ事件(民主化弾圧)

途上国  非同盟主義  東西どちらにもつかず 

非同盟の中心 ➡ ネルー (インド)・ 周恩来 ・チトー(ユーゴスラビア)など。

「平和五原則」発表…領土保全/内政不干渉/平和的共存など。

 アジア=アフリカ 会議(1955年)…インドネシアの バンドン 29か国が集結。

平和五原則を拡大した「平和十原則」採択。

・非同盟諸国首脳会議(1961年〜)…ユーゴにて。チトー大統領が主導。

 

冷戦の集結

1980年代 新冷戦(米の 戦略防衛構想 SDIVSソ連のアフガニスタン侵攻)

レーガンの軍拡路線  ▶親ソ政権支持で進軍

1985年 ➡ ゴルバチョフ 就任で冷戦終了。★2003追試

 

ソ連の大改革 ペレストロイカ (改革)★2003追試

        グラスノチ (情報公開)

 

 

 

1989 東欧革命 …ソ連の改革が東欧諸国にも波及

   ポーランド・チェコスロバキア・ハンガリーなど

  ➡各国首脳は選挙敗北・逮捕・処刑などされた。

ベルリンの壁崩壊 マルタ会談 で冷戦集結が宣言される。

                ▶ブッシュ米大統領・ゴルバチョフソ連書記長

 ▶ベルリンの壁は東ドイツが西側へ逃げるのを防ぐために築いた。★1999追試

1991年 ソ連邦解体➡ロシア、 独立国家共同体 CIS)へと移行

          ウクライナ、ベラルーシ、カザフスタンなど

・コメコンとWTO(ワルシャワ条約機構)も解体

 バルト三国 (エストニア・ラトビア・リトアニア)はCISに入らず 独立 

 

ポスト冷戦

・旧東欧諸国は すべて民主化 ・ 市場経済 へ移行。

・✖ 民族紛争 の多発・激化。

チェチェン紛争(独立を目指すチェンチェンのイスラム武装勢力とロシア)★2004本試

ユーゴスラビアの内紛(クロアチア・セルビアなどの宗教をめぐり内紛)★2004本試